色褪せることのない微笑み

Nadhila Beladina & Poniyahおばあちゃん

東ジャワ州、Ngangetハンセン病快復コロニーで初めて彼女と出会いました。そこはハンセン病快復者とその家族が暮らす村。かつてNganget村は、チークの森林や深く茂る藪の中にハンセン病患者を収容するための小屋が建てられているだけでした。その後、ハンセン病病院が建設され、治療を終えたものの家族に受け入れられず故郷に帰ることのできない快復者が、病院の周辺に家を建て、集落が形成されていきました。

PoniyahおばあちゃんとNganget村の療養所の人たちは、朝にはみんな元気そうに療養所の庭を掃除します。おばあちゃんたちの道具の使い方は独特です。あるおばあちゃんは、車輪のついた箱に座りあちこちに移動しながら箒で掃除します。草刈りに使う鎌は、ある村人の手首に括り付けられて使われています。病気の発見と治療の遅れにより、快復者の中には指が欠けていたり手足に後遺症を持つ人がいます。様々な困難を抱えながらも、彼らは私たちと同じように毎日の活動を行っています。

私たちが彼女のもとを訪れ、一緒に手伝おうというと、Poniyahおばあちゃんは目を細めて微笑みました。そして椰子の葉の葉脈からつくった箒を2本持ち出すと、落ち葉の溜まっている場所を指し示します。Poniyahおばあちゃんはあまり話をしません。普段はジャワ語を使っており、私たちとインドネシア語で話をするのを恥ずかしがります。「ぎこちないのよ、インドネシア語で話をすると。恥ずかしいの」と笑いながら言います。

午後の礼拝の呼びかけが響き渡る頃、急いで礼拝場所に向かう彼女を見かけました。Poniyahおばあちゃんは足の指が後遺症によって欠けており、早く歩くことができません。声をかけると、彼女は手を振り、そして微笑みを返してくれました。

「ここの療養所にいる人は、ふたつの理由で故郷には帰らないの。ひとつは、家族や近所の人たちは私たちのことを受け入れようとしないから。2つ目は、その人自身が帰りたくないから。劣等感を持っている人もいれば、家族に会うことを怖がる人もいる。ここにいる人には色んな話があるわ。ハンセン病をわずらった時に家族から追い出された人、家の中に閉じ込められた人・・・」一緒に療養所のテラスに座りながら、Poniyahおばあちゃんは言いました。

どのような経緯で彼女がNganget村の療養所に住むことになったのか、Poniyahおばあちゃんは自身の過去を話そうとはしません。ハンセン病をわずらい生きていくことは簡単なことではありません。6〜12ヵ月にわたる薬の服用、らい反応(治療中、あるいは治療後のアレルギー反応の一種。急激な炎症を起こすことがある)。そしてそれに加え、社会からの差別。Poniyahおばあちゃんもかつて、あるいは今も、そのような苦しみを経験しているのだろう。しかし私たちが目にする彼女の姿、それはいつも微笑みを浮かべる姿だけです。誠実で可愛らしい笑み。

Nganget村を訪れ、村人に会う。彼らが体験した様々な語を聞き、生きることについて彼らから学ぶ。このことは私を幸福にさせてくれます。そして、いつまでも色褪せることないPoniyahおばあちゃんの微笑み。それはいつもNganget村を恋しく思わせてやみません。